衣食同源

 西安の夏は肌がビリビリしびれるくらいに暑い。京都同様、盆地だからだろう、二〇〇四年の夏は連日三十五度を越す熱帯夜が続き殊に暑かった。
 
 そんな夏のある昼下がり、茹だるような暑さに耐えかね昼寝をしていた私の携帯がけたたましく鳴った。
 鳴り続けて止む気配もないその音にたまりかね電話をとる。マナーモードにし忘れていた自分をなじりながら不機嫌もろだしの対応をする私に全くお構いなく機関銃の如くしゃべり始めたその声の主は大学生時代からの友人、張さんだった。

「このド暑い真夏の日中によくもそんなに元気ようなれまんねえ・・・」

とぶつぶつ言う私に母さんの家庭料理を食べに来いという。窓の外にはギンギンギラギラと照りつける太陽が笑っている。私は張さん家までの長い道のりを思いながら断る決意を固めていた。

 食欲がないなどを口実にのらりくらりとお断り申し上げる私に、「ちょうどいいわ!ママが食欲増進料理を作ってるのよ。私はそれを食べてるからこんなに元気なのヨ!」
彼女は言って、ガハハと大笑いし、躊躇している私に一方的に夕食の約束を取り付け電話を切ってしまった。

電話を片手に呆然とする私。寝起きの機嫌の悪さも手伝い、なんで彼らは自分にとって良いこと楽しいことが、ああも明確に他人にとっても良いこと楽しいことって言い切れるのかと腹が立つ。

赤の他人には非常に冷たいが自分の友人には身内同然の世話をやく中国人のことだ、彼らはきっとたった一人で西安に来た私がうら寂しい留学生寮で一人寂しく食事をしている姿を想像し涙する思いで招待してくれているのだろう。単細胞でお気楽者の私はそんな中国人のコテコテの人情にほだされ、獄暑の西安をチャリンコで駆け抜けたのだった。

友人の家についた私をいつもママ(張さんの母親)とババ(張さんの父親)は笑顔で迎えてくれる。張さんの娘、息子たちもマージャン狂のユコネエが来たとはしゃいでいる。すると、ママが私に何やら麦茶のようなものを差し出し飲めと言う。張さんもこれを飲んだらきっと食欲が湧いてくるからと自信に満ち満ちた顔をして付け加えた。

ママの優しい笑顔と彼女の一寸の曇りもない真剣な表情に気押されて言われるがままにゴクリゴクリと飲み干す。麦茶のような爽やかな口当たりはないが香ばしさの中にちょっぴり甘さがありおいしい。かきもちの入った甘くないおしるこを飲んでる感じだ。

「いや、なかなかうまい。もう一杯!」

お替りを請求する私に皆がどっと笑い、ババがこの飲み物の正体を明かしてくれた。

この汁は極小の緑豆からとっているという。中国では古来からこの緑豆は暑気防止、暑気あたりに利く飲み物だそうで、中国人は水代わりに飲むという。そんな話を聞いてみるとなんだか先ほどまでだるかった体も不思議に軽くなってる気がする。

 水をたっぷり注いだなべに入れてただぐつぐつと煮るだけできるこの簡単な飲み物がすっかり気に入った私
は、「天気熱的時候、喝点緑豆湯、可以避暑!訶訶〜♪ (暑いときにゃあ緑豆汁。飲めば暑気防止!ウッフン〜♪)」とババの格言にリズムをつけて歌うのだった。

食欲も少しずつ戻ってきてルンルン気分の私にママが特性の夏バテ克服料理を出してくれた。ババはその一品一品の夏バテ克服効果を丁寧に説明してくれた。

即効というわけでは決してないが、三、四日続けて飲んだ緑豆汁のおかげか夏バテを克服し味をしめた私は、その後も腹を壊した、偏頭痛がするなど何かと体が不調で悲鳴を上げる度にババの家に行き懇ろに食事療法を受ける癖がついてしまった。ババの口癖は「食が体を作る。だから病気になったらまず食べ物で治療する」というものだった。

こんな風にして生活してきた西安での一年半、私がババから教わった数々の医食同源の心得は私の中国での生活の中で何にも変えがたい宝物である。

 ババは病気の治癒を市販の薬に頼ることはせずいつも自分で薬草を煎じ、また病気の状態に合わせて食事も作る。別に医者でもなければ医者の勉強もしてへんのに。娘たちも孫たちもその背中を見て育っているのだ。私は体をずっと医者まかせ薬まかせにしてきた自分を恥じた。